1601年、一躍土佐24万石の太守となった山内一豊が築城を開始し、2年後に本丸、二の丸の石垣が完成。その後も工事は続けられ、三の丸までの拡張工事が終了したのは、築城から10年後と伝わります。城は、高知平野のほぼ中心に位置する独立丘陵の大高坂山(標高約44m)に築かれた平山城です。南を流れる鏡川、北の江ノ口川を取り込んで外堀として利用しています。創建天守は、1727年の大火で焼失したため、1749年に再建されたのが、現在の天守です。外観四重、内部四階で、二重櫓の上に望楼部を乗せた古式な望楼型天守となっています。本丸は日本で唯一、天守・御殿などの建造物が完全に残ります。1873年の廃城令、太平洋戦争の戦災も免れ、天守、御殿、追手門など15棟の建物が現存し、国の重要文化財に指定されています。