1590年、家康の関東移封に伴い、豊臣秀吉配下の石川数正が入封。数正・康長の二代にわたる築城工事によって、石垣・天守を持つ松本城が誕生しました。その後、松平直政(徳川家康の孫)が、天守をはじめ諸門の修築を実施します。この時、天守に辰巳附櫓と月見櫓を付設し、現在見られる大天守を含め5棟からなる「絶妙の均衡美」が完成したのです。天守は西から望むと「無骨で戦闘的」な姿ですが、南から望むと、朱塗の欄干の縁側を持つ月見櫓と、石落しがない辰巳附櫓に平和な時代の開放的な姿を見ることができます。華麗な外観だけでなく、軍事的色彩の強さもこの天守の大きな特徴です。大天守・乾小天守の階のみに、大小11の石落しが設けられ、鉄砲や弓を射かける狭間も100余個ほど取り付けられているのです。