中国地方の覇者となった毛利元就の孫・毛利輝元が、山城の時代が終わったことを悟り、広島平野に築城を開始。1589年、太田川のデルタ地帯に築城工事を起こし、1599年完成しました。「大阪城を凌ぐ」とさえ言われた天守完成直後に関ヶ原合戦が勃発。豊臣方についた毛利氏は転封され、替わって福島正則が入封し、大改修を実施しました。ところが1619年、無断修理をとがめられ正則は改易となり、浅野氏が城主となりました。最盛期には、天守を含め99基の櫓が立ち並ぶ城でした。1945年の原爆投下で城は壊滅的な被害を受け、戦後復興期の1958年、天守のみが鉄筋コンクリート造りで外観復元されました。1994年には、古写真などを参考にして二の丸の表御門、平櫓などが木造で復元されています。