1589年、肥後半国の領主となった加藤清正は、茶臼山に新城築造を計画し、直ちに工事を開始します。しかし、朝鮮渡海によって中断され、完成は1607年のことでした。この間に関ヶ原合戦の戦功によって肥後一国52万石余となったため、築城工事段階で計画変更され、50万石に相応しい体裁に変化したのです。熊本城最大の特徴は、大・小天守以外に、6基の五階櫓(三重五階の櫓)を配し、高石垣の上に多聞櫓を建てて城を囲い込んだことにあります。また、各曲輪間を結ぶ通路と虎口は、厳重なうえに複雑であり、それゆえ「史上最強の城」とも呼ばれています。本丸御殿や飯田丸五階櫓などの復元整備事業を進められてきましたが、2016年の熊本地震によって、天守をはじめ多くの建物・石垣が被災しました。現在、復興に向けて工事が進められています。