1583年、豊臣秀吉の手によって築かれた豪華絢爛な城でしたが、徳川家康が攻めた大阪夏の陣(1615年)によって、灰燼に帰しました。1620年から江戸幕府による再築工事が天下普請によって開始されます。幕府は太閤のイメージを払拭し、より豪壮で広大な城を目指しました。豊臣大阪城を完全に埋め立て、豊臣時代の倍ほどの高さを持つ石垣を築くのです。その高さは、実に30mにも達しました。また、城内には畳14畳敷以上の巨石が10個も確認されています。それだけではありません。本丸には、五重天守をはじめ、三重櫓11基、二重櫓2基が建てられました。二の丸には、伏見三重櫓と二重櫓13基が配されています。本丸は、これら櫓群を多聞櫓で連結し、二の丸は土塀によって結ぶ構造でした。