1609年、徳川家康は西国大名に命じ、天下普請による名古屋築城を開始します。1616年、清須城を廃し、神社仏閣を含め城下町ごと強制的に名古屋に移転させました。城は本丸を中心に、東に二の丸、西北に御深井丸、西南に西の丸を配し、さらに南側に三の丸を配置する構造です。本丸西北隅に建てられた大天守のほかに三階櫓は4基、二階櫓が7基と、大城郭にしては隅櫓の少ない城でした。それは、重要部に多聞櫓を配し、守備するという完成領域に近づいた城であったためです。のちに将軍上洛時の宿所となった本丸御殿は、第二次世界大戦中の空襲で焼失しましたが、2018年に完全復元されました。1959年、鉄筋コンクリート造りで天守を復興、現在、木造による天守の復元が検討されています(現在、天守内には入館できない)。