木曽川左岸の標高40mの段丘を利用し、南北に長く築かれた城です。最北端に天守を置き、南に向かって本丸、桜の丸・杉の丸、桐の丸、松の丸が階段状に配されていました。尾張・美濃国境に位置するためか、城主が次々と変わっています。1617年に尾張徳川家の付家老成瀬正成が入封すると、以後九代にわたって城主を勤め維新を迎えました。国宝の天守は、一・二階が1601年の新築、三・四階は、1620年の改修であることがほぼ確実です。窓は、突上戸、開戸、華頭窓と多様です。ただし、最上階の華頭窓は、格式を上げるための飾りで、窓として機能していません。1965年に、天守の管理が市に委託されたのを機会に小銃櫓(鉄砲櫓)と、本丸鉄門が鉄筋コンクリート造りで模擬復元されました。