信濃(長野県)を代表する武将である真田昌幸が、1583年前後に築城に着手し、翌年完成したといわれます。1585年には、徳川家康の攻撃を退け、一躍真田の名を天下に知らしめました。豊臣秀吉に臣従後、大規模な改修工事を実施しています。その時、金箔瓦が輝く豪華絢爛な城となりました。1600年、関ヶ原に向う徳川秀忠の大軍を足止めし、翻弄したことで、再び真田の名をあげます。合戦後、城は破却されました。その後、1626年仙石忠政が城主となり、修復されることになります。城は、尼ヶ淵に面した千曲川の河岸段丘の断崖上に築かれています。1967年、民間に払い下げられていた北櫓、南櫓が城内へと移築。1994年には、古写真・発掘調査成果等をもとにして本丸東虎口門が復元されています。